名言から学ぶ37 ~ef – a fairy tale of the two.~

名言の泉 名言の泉
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「私は、私が出来る限りのことをすればいい。ただ精一杯。生きるということは、人の存在価値は、そういうことだ」

by 羽山ミズキ
(「ef – a fairy tale of the two.」より)

 漫画アニメの名言を紹介する「名言の泉」第37弾!

 今回ご紹介するのは、ゲームを原作にコミカライズアニメ化もした「ef – a fairy tale of the two.」より、主要登場人物である羽山ミズキの台詞をご紹介します。

 さて、突然ですが、ちょっと個人的な話をさせて下さい。

(まぁ個人ブログなんで、言ってしまえば殆どの記事は個人的な話になるんですけど)

 2024年1月1日お正月ムードの中で誰も想像だにしなかった

令和6年能登半島地震

 石川県能登地方を震央とし、最大震度7を記録しました。

 今までにも何度か紹介した、僕が経営する塾「寺子屋カレッジ」は、まさに石川県能登地方。

 もっと言うと、石川県の鳳珠郡穴水町にあります。

 穴水町では、気象庁による発表では震度6強、防災科学技術研究所やK-NET穴水によると震度7相当の揺れが起こりました。

 被災当時、幸いにも僕は家族と金沢市で宿泊していたのですが、それでも非常に大きな揺れを感じて宿泊場所にも大きな被害がありました。

(震源地から割と離れた加賀地方・金沢市でも一部で震度5強だったことからも、この地震の凄まじさを感じ取れます)

 実家や塾の様子が心配で気が気じゃなかったですが、被災から暫くは交通インフラの被害から穴水町へ戻ることができませんでした。

 そして、被災から3日経った1月4日。

 ようやく戻って目にした町の状況は

凄惨そのもの

 ぺしゃんこになった家屋、歪に傾いた電柱、隆起・沈降した道路——

 慣れ親しんだ町とは思えない程、ほんの一週間で変わり果てた光景に、これが現実とは到底思えませんでした。

 実家は立ってこそいるものの半壊状態で、内壁は剥がれて物が散乱し、建物全体が傾き外壁には大きな亀裂が入っていました。

 被災建築物応急危険度判定の結果は、最も危険なことを表す

被災建築物応急危険度判定
→地震発生後の早い段階で行われる、二次災害に対する安全性の調査。
調査結果は緑(調査済み)/黄(要注意)/赤(危険)の三段階で区分されます。

 また、その後に行われた被災度区分判定では、半壊の中で最も深刻な大規模半壊

被災度区分判定
→被災の混乱から少し落ち着いた頃に行われる、被災度の調査および復旧の要否の判定。
判定結果は一部損壊/準半壊/半壊/中規模半壊/大規模半壊/全壊の6種類で区分されます。

 いつ余震で倒壊するか分からない不安の中、応急仮設住宅の入居を申込んだものの、完成や入居時期は今のところ未定です。

 また、仮に入居できたとしても、住んでいられるのは建設が完了してから最長2年間のみ

 そんな家族の今後の生活に何の見通しも立っていない状況もさることながら、僕には別の心配もありました。

塾に通っていた子ども達の学習環境です。

 一番の心配だった、保護者様を含むご家族の安否に関しては、主にLINEアプリで概ね無事であることを確認していました。

 ひとまずはホッとしましたが、これからのことを考えると安心してもいられません。

 被災した家の片付けに加え、長引く停電と断水の中、子ども達が落ち着いて勉強に集中できる時間はあったでしょうか?

 重要な内容が多い3学期の単元を、十分に学習できないまま新年度を迎えるのは何としても避けたいところです。

 そして何より、中学3年生・高校3年生は受験を目前に控えています

 僕自身、学生時代に大きな震災に遭いました。

平成19年(2007年)能登半島地震です。

 今回と同じ震度6強の大きな地震が起こった当時、僕は高校3年生で受験勉強の真っ只中でした。

 停電と断水の中、思うように勉強が出来ずとても不安な日々を過ごしたことを、10年以上経った今でもハッキリと覚えています。

 今回は、そんな僕と同じ苦しみを子ども達に味わってほしくない

 まだまだ被災の影響が残るこの状況で、一番不安を抱えているのは子ども達のはず。

 ただ、そんな想いではあったものの、塾を再開することには迷いもありました。

 自然災害の前には、人間はあまりにも無力です。

 停電と断水が続く中、ぐちゃぐちゃになった教室を見ていると、いやが応でも心が折れそうになりました。

被災後の教室
被災から3日後に訪れた教室

 蛍光灯の一つは天井から外れてぶら下がり、内壁の所々に大きな亀裂が入って、中から釘が飛び出している箇所もありました。

 被災建築物応急危険度判定の結果は「黄」

 要注意箇所は教室から離れており、子ども達を受け入れることは可能なものの、避難所と比べたら決して安全な場所とは言えません。

 また、地元唯一の中学校では、生徒の4割以上が他市町村や他県へ一次避難・二次避難したとのこと。

 そんな中、果たして塾を再開することが出来るのか?本当に需要があるのか?やっていけるのか?

 悶々と一人で悩み、何気なく教室に掲示してあった名言の数々を眺めた時、ふと目に入ったのが冒頭の言葉です。

 被災した人達の中では、僕は比較的運が良かった方だと思います。

 自分も家族も怪我一つなく、家も塾も全壊はしていません。

 不幸にも亡くなった方が大勢おり、見渡せば倒壊した建物が幾つも目に入ってくるような状況にも関わらず。

 これ程までに生きていることを実感し、ありがたく感じたのは人生で初めてです。

 同時に、普段であれば考えもしないような疑問を抱かざるを得ませんでした。

自分が生き残った意味は何なのか?子ども達の為に自分が出来ることは何なのか?

 そういったモヤモヤとした気持ちが、冒頭の言葉を見ることでスーッと晴れた気がしました。

 結果を気にする必要はない。

 自分が出来る限りのことを、ただ精一杯にすればいい。

 それこそが、今ここに生き残っている意味であり、これから先を生きるということなのだから。

 大袈裟かもしれませんが、途方に暮れていた僕にとって、少なからず勇気づけられた言葉です。

 そして今では、有り難いことに塾の再開を感謝してくれる生徒・保護者の皆様から大いに勇気づけられ、また励まされています

 今後は迷うことなく、自分が出来ることを全力で行っていきたいと思います。

P.S.他にも、以下の名言などは被災して悩んでいた僕の心に響いた言葉です。

 同様に被災された皆さんの中で、これらの言葉で少しでも勇気づけられる方がいらっしゃったら幸いです。

 最後になりますが、この度の震災からの復興を支援して下さっている多くの方々へ、深く感謝の意を申し上げます。

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