「幸せは他人の評価の中ではなく、己の中にあるのです」
by サタン
(「鬼灯の冷徹」より)
3日に1記事「名言の泉」カテゴリー第14弾!
流石に「教育・学習」や「学習塾経営」カテゴリーの記事数には届いておらず、何とか教育ブログとしての体裁を保てているように感じている今日この頃です。
さて、今回ご紹介するのは「鬼灯の冷徹」の登場人物サタンの台詞。
皆さんは「承認欲求」という言葉をご存知ですか?
こう聞いた時に
あ~ハイハイ
マズローね。
とか思った方
ハイ、その通りです。
グゥの音も出ませんわ。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した「欲求段階説」(マズローの法則)によると、人間の欲求は以下5つの段階に分けられます↓
・自己実現欲求
・承認欲求
・社会的欲求
・安全の欲求
・生理的欲求
そして、人間は下の欲求が満たされるたびに、一つ上の欲求を抱くようになるとのこと。
「生理的欲求」は生きるのに最低限必要な欲求のことで、食欲・睡眠欲・性欲の「3大欲求」の他、息を吸いたいとか水を飲みたいといった欲求も含まれます。
「安全の欲求」は自分の身体や周囲の環境が安全な状態で生きていたいという欲求のことで、経済的に安定したいという欲求も自身の安全に繋がるので、この段階の欲求に入りますね。
「社会的欲求」は家族や会社、学校といった社会集団に属することで安心を得たいと思う欲求のことで、「帰属欲求」とも呼ばれる欲求です。
そして、それらの欲求が順に満たされることで現れるのが「承認欲求」というもの。
大学の教育心理学の講義で習ったなぁ。
ただ、ここで一つ注意すべきことがあります。
それは、この承認欲求が2つのタイプに分類されるということ。
承認欲求と聞くと
「他人から高く評価されたい」
「自分の能力を認められたい」
というような欲求を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?
それは「低位の承認欲求」(他者承認)に分類され、一言でいうと「他者から褒められたい」という欲求のことですね。
もう一つのタイプは「高位の承認欲求」(自己承認)といい、自己肯定感を高めたいと思う欲求のことで、他者からどう見られても関係がありません。
どちらも自分の存在価値を感じるために必要な欲求に変わりなく、どっちが良いとか悪いとか言うのはナンセンスというもの。
ただ、ある程度の他者承認欲求は頑張るためのモチベーションとなるので必要ですが、あまり過剰に抱くのは考えものでしょう。
SNSでイイネやフォロワーを極度に意識する人とかですね。
というのも、評価をくれる他人は沢山いて、それぞれ評価が全く異なるからです。
そういった曖昧な評価にばかり固執していては、だんだんと自分や自分の判断に自信が持てなくなってしまいます。
さらには、自分が持つ本来の目的を忘れて、他者から良い評価を得ること自体が目的となってしまう恐れもあるでしょう。
確かに、他者からの評価を得られている間は幸せなのかもしれない。
しかし、そこで得られる幸せはほんの一時的なもので、決して長くは続きません。
満たされることのない目的のために、ひたすら他者からの評価を追い求める。
そんな生活は、およそ幸せとは程遠いものではないでしょうか?
ここだけ聞くと危ない薬物みたいに聞こえますね…。
他者からの曖昧な評価に振り回されることなく、自分で自分を評価し承認することをどうか忘れないで下さい。
「そんなのは傲慢だ」
「ナルシストだ」
そんな風に感じる方もいるかもしれませんが、私は決してそうは思いません。
謙遜するのは素晴らしいことですが、それは自分を不当に低く見積もることではないでしょう。
自分自身を正当に評価し、良い所には満足し、悪い所は改善に向けて頑張る。
そうやって、今の自分を真摯に受け止め認めることが、自己肯定感を高めることに繋がるのではないでしょうか。
自分を見つめ直す。
怖いことかもしれませんが
とても大切ですね。
日本人は自己肯定感が低い国民性を持っていると言われています。
一度他人の評価から離れて、自分の中に隠れている幸せを探してみてはいかがですか?
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