小・中学生や高校生、はたまた保護者の皆さんは、塾講師や学校の先生の良し悪しをどこで判断しますか?
授業の分かり易さ?
見た目?
確かに、教育サービス業として肝心要の授業が超絶分かりにくかったら問題外ですし、サービス提供者として身だしなみを整えることは非常に重要でしょう。
(以前の記事では「指導力よりも優先すべきは見た目」という趣旨の話をしているので、よろしければ是非こちらもご覧ください↓)
まぁ指導力や見た目は
良い悪い以前の大前提
って感じですかね。
では、こんな基準↓で塾講師・先生の良し悪しを判断することはないでしょうか?
優しいか厳しいか?
このように
教育者・指導者は優しい方が良いのか、厳しい方が良いのか
なんて論争になった時、必ずと言っていい程によく出てくる主張は
「優しいと生徒に舐められて強制力がなくなる」
「厳しいと生徒の自己肯定感や自信が失われる」
というもの。
さて、どちらも至極もっとも、という感じに聞こえますね。
しかし、この場を借りて一教育者として主張させていただくと
否
断じて否っっ!!
優しいこと・厳しいことの両者は、相反するようなものではありません。
そして、どちらも教育者・指導者にとって大事な要素です。
真に憂慮すべきなのは
甘さ
以下では、教育者・指導者の中でも特に塾講師に限定して
「塾講師に重要な性格・人格とは?」
ということをテーマに、優しさ・厳しさの必要性や甘さの問題点について、現役の零細学習塾経営者である私ゆうき塾長が解説していきます。
僕自身まだまだ優しさも
厳しさも不十分ですので
大変恐縮ですが、どうか
ご一読くださいませ。
優しさと甘さ、厳しさと恐さの違い
ていうか、優しさと甘さ
って何が違うの??
あまり意識することも
ないでしょうし、外目
には違いが分かりにく
いですからねぇ。
では、本題に入る前に少し言葉の意味を確認していきましょう。
以下では、「優しさと甘さ」の違いに加えて、同じく混同されがちな「厳しさと恐さ」の違いについても解説します。
両者とも似ているようでハッキリとした違いがありますので、どちらも同じようなニュアンスで捉えているという方は要注意です。
特に塾講師の皆さんは、ご自身の指導や生徒対応を振り返る際には、是非それぞれの違いを意識してみて下さい。
きっと、己の指導・対応の是非を判断するための良い参考となるでしょう。
僕も日々の指導に対して
反省してばかりなので、
偉そうに人の事は言えま
せんけどね。。。
それでは、どうぞ!
優しさ≠甘さ
では早速、それぞれの意味を確認してみましょう↓
「優しさ」
相手の心に寄り添い、思いやる気持ち。
「甘さ」
相手に好かれたり、よく思われたい気持ち。
――お気付きいただけただろうか?
「優しさ」の方は、第一に相手の感情に目を向けています。
優しさのある人は、相手の立場に立って気を配る、他人本位な考えのもと行動するでしょう。
う~ん、まさに
教育者かくあるべし
って感じですね。
対して「甘さ」の方は、第一に自分の感情に目を向けています。
甘さのある人は、相手から嫌われたくない・好かれたいという、自分本位な考えのもと行動するでしょう。
まぁ気持ちは非常によく
分かりますけどねぇ。
場合によっては、優しさのある行動と甘さのある行動とが一致することもあるかもしれません。
ですが、それは偶然にも相手と自分の利害が一致した極一部の場合に限りますし、こと教育の場面においては滅多にないことでしょう。
厳しさ≠恐さ
じゃあ続いては「厳しさ」と「恐さ」について、それぞれの意味をどうぞ↓
「厳しさ」
相手のことを思って、容赦なく接すること。
「恐さ」
自分の感情のままに、相手を威圧すること。
――いかがでしょうか?
「厳しさ」の方は、第一に相手の為を思っています。
厳しさのある人は、相手やその周囲にいる人達の安全と成長の為に、ルールや約束事を定めて皆で遵守するよう努めるでしょう。
どの塾にも、その塾独自
のルールとか決まりって
ありますよね。
対して「恐さ」の方は、第一に自分の為を思っています。
恐さのある人は、自分の地位や名誉を守り威厳を保つ為に、相手や周囲に対して精神的なプレッシャーを与えようとするでしょう。
塾講師に地位とか威厳
なんて殆ど無に等しい
ですけどね…。
両者の違いを端的に表すと
厳しい人は叱る
恐い人は怒る
です。
(「叱る」と「怒る」の違いについて、詳しくは以下の記事をどうぞ↓)
要するに、厳しさ・恐さの違いも優しさ・甘さの違いと同じで、他人本位か自分本位かという点にあるでしょう。
塾講師に重要な性格・人格はどれか?
さて、一通り言葉の意味を確認し終わったところで、いよいよ本題の
「塾講師にとって重要な性格・人格とは?」
ということについて、僕個人の塾講師としての経験も踏まえて解説していきます。
(まぁ何が重要かってのは言葉の意味で容易に察しがついたと思いますけど)
勿論、教育者・指導者によって様々な教育観があるかと思いますので、ここで主張する僕の考えが必ず正しいとは言いません。
また、僕の主張とは全く異なる性格・人格だから塾講師失格!とか言うつもりも毛頭ございませんので、どうかご承知おき下さい。
僕は無難に慎ましく生き
たいので、そんな喧嘩を
売るような過激なことは
したくないですし。
あくまで、これから塾講師となるつもりの人、既に塾講師である人が自己分析する為の参考程度に受け取っていただけたら幸いです。
それでは、どうぞ!
塾講師に重要なのは優しさと厳しさ!
結論から言うと、塾講師にとって重要となる性格・人格は優しさと厳しさです。
えぇ~、でも意味的には
真逆じゃない?
いえいえ、そんなことは
ありませんよ。
確かに、語源的な意味でいうと優しさの対義語は厳しさのようですね。
ただ、優しさには色んな意味があって、厳しさの対義語となる優しさが意味するのは「慎ましさ」。
本記事で使っている優しさは「思いやりや情がある」という意味であって、その場合の対義語は「冷たさ」となります。
前述の通り、優しさと厳しさはどちらも他人(生徒)本位の考え方・行動をしており、生徒を思う気持ちが原動力という本質は同じです。
塾講師にとって、生徒一人一人の心に寄り添い思いやる、そんな優しさが重要なのは言うまでもないでしょう。
それに加えて、もしも生徒が明らかな問題行動を起こしそうになった時には、容赦なく接する厳しさもまた重要となります。
「どちらが大事」
というのではなく
「どちらも大事」
ってことですね。
よくある優しさor厳しさ論争になると、優しさと厳しさを「飴と鞭」(英語だと「人参と棒」らしいですけど)みたいな、あたかも対義語のような感覚で極端に考えがちです。
しかし、こと教育に関していうと、むしろ両者は類義語にあたると考えてよいのかもしれません。
または、生徒の為を思って敢えて厳しくするというのも、一種の優しさだとも考えられます。
(優しさの中に厳しさがあるって感じですかね)
塾講師に甘さは不要!
こちらも結論から言うと
塾講師にとって甘さは一切必要ありません。
えぇ~~そうかなぁ?
ちょっと甘いくらいの
方が生徒から好かれる
と思うけど。
いや、別に塾講師は生徒
から好かれるのが仕事
ではないですから。
まぁ確かに、生徒から好かれる・信頼される方が教育上の指導を行いやすい、というのはあるでしょう。
ですが、仮に塾講師が「生徒に好かれたい」と思って行動したところで、本当に生徒から好かれることはまずありません。
せいぜいが
都合の良い存在
と思われるのがオチです。
最も舐められる
パターンですね。
いや、感情的には分かりますよ。
「生徒に嫌われるのが怖い」
「頼られたい、慕われたい」
そういった気持ちは、誰しもが少なからず持っていると思います。
でも、塾講師、ひいては学習塾にとっての最重要任務は何ですか?
当然ながら
生徒の成績を上げること
ですよね。
(学校とか学童保育なら、他の目的もあるんでしょうけど)
成績を度外視するなら、
それは塾ではない別の
サービス業でしょ。
学習塾という業種は、成績を上げるための教育・指導を提供するサービス業です。
であれば、第一に考えるべきは
生徒に勉強をさせること
この一点に尽きます。
でも、勉強よりも大切な
ものだってあるでしょ?
それはその通りだと
僕も思います。
けれど、それは果たして勉強することなく得られるものでしょうか?
勉強する意味や楽しさを学ぶとか、社会に出てから通用する人間力を磨くとか、そういったことは勉強することを通して初めて得られるものだと思います。
各々の塾が、教育理念とか目的として「勉強する楽しさ」とか「人間力の育成」を掲げるのは自由ですが、あくまでも塾の責務は勉強させること・教えることです。
経営側の理想や感情を優先し、本来の責務を蔑ろにすべきではありません。
(塾のHPとかに「当塾では人間力を鍛えますので、勉強は二の次です!」って謳ってるならいいですけど)
それはもう学習塾と
言えないような…。
例えば、ファミレスは飲食を提供するサービス業ですよね?
となれば、ファミレスが第一に成すべき責務は飲食を提供することでしょう。
お客だって、まず間違いなく食べ物・飲み物が欲しいと思って店に訪れるはずです。
にも関わらず、店員に料理を出す気が全く無かったらどう思いますか?
普通にブチ切れますよね。
それか黙って回れ右
して別の店に行くか…。
そんなお客の憤りをよそに、料理人が高々と
「料理を食べて喜ぶお客様の笑顔を見るのが生き甲斐です」
なんて語ってきたらどうです?
いや、知らねーよ!
いいから料理を出せ!
って思いますよね。
ちょっと例えが分かり
にくかったですかね。
要するに、生徒達に慕われる良い塾講師を妄想するのは勝手だけど、その前にやるべき事があるって話です。
自身の理想や「好かれたい」という感情と、生徒達に勉強させて成績を上げることには、何一つ相関関係はありません。
たとえ生徒が「勉強したくない」という態度をとったとしても、教育というサービスを受けに教室へ来た以上、変に妥協せず最善のサービスを提供すべきだと思います。
そこに「嫌われたらどうしよう」なんて不安を抱く余地はないでしょう。
最後に
というわけで、いかがでしたか?
教育者・指導者は優しい方が良いか、それとも厳しい方が良いか。
学校の先生は置いといて、こと学習塾の講師に関して言えば、どちらも塾を経営し生徒達を指導する上で非常に重要です。
真に問題なのは甘さ。
「嫌われたらどうしよう」
そんな思いが頭をよぎり、つい指導に対して消極的になってしまう、そんな経験がある人は決して少なくないでしょう。
でも、不安にならなくても大丈夫です。
僕の経験上、本当に生徒のことを考えた上で厳しく接していれば、生徒から嫌われることは殆どありません。
何だかんだ言っても
生徒達は勉強をする
ために塾へ来ている
わけですからね。
成績を上げたいという強い想いは、塾講師や保護者だけでなく生徒も同じです。
甘さを断ち、優しさ・厳しさを追求した先には、生徒・保護者と喜びを分かち合う瞬間がきっと来るでしょう。
塾講師を志す皆さんが、生徒の成績向上を第一に考え行動した先に、自身の理想とする教育・指導が実現できることを願っています。
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