「この手はいつか、偉大なことを成し遂げるかもしれない。この手はいつか、驚くべき仕事をするかもしれない。橋を架けたり、病人を治したり、ホームランを打ったり、魂を揺さぶるような小説を書いたりするんだ。この手はいつか、運命を変えるかもしれないんだ」
by チャーリー・ブラウン
(「ピーナッツ」より)
漫画・アニメの名言を紹介する「名言の泉」カテゴリー第29弾!
今回ご紹介するのは大人気キャラクターであるスヌーピーで有名な世界的人気作品「ピーナッツ」の主人公チャーリー・ブラウンの台詞です。
皆さんは将来に対して希望を持てていますか?
過去の名言では、自分自身の好きな事・やりたい事について考えさせられる台詞を幾つか紹介してきました。
ただ、今回はハッキリとした夢や目標とかではなく、もう少し抽象的な話になります。
何かというと
自分の将来の可能性
について。
要するに
「何になりたいか?」
「どうなりたいか?」
ではなく
「何になれるのか?」
「どうなれるのか?」
ということです。
どっちも似たような
もんじゃないの?
言葉は似てますけど
全っ然違いますよ。
自分の好きな事・やりたい事が何も見つからず悩んでいる人の中には、上記を混同している、あるいは同一のものと考えている人もいるのではないでしょうか?
しかし、これらには明確な違いがあります。
今は特になりたいものが無い、つまり好きな事・やりたい事が無いからといって、それは将来なれるものが無いというわけではありません。
僕は趣味でよく名言を調べるんですが、こんな↓言葉を聞いたことはないですかね?
「できるできないじゃなく、やりたいかやりたくないかで行動しろ!」
うん、普通に良い台詞だと思います。
「達成できる可能性が限りなく低くても、自分の本心に従って行動することが大切」
本当にその通りだと、僕も同感です。
何なら、この名言の泉
シリーズで紹介しても
いいくらいですね。
ですが、じゃあ自分の本心が分からない・やりたいことが見つからない場合は、一体どうすれば良いのでしょうか。
やりたい・やりたくないで判断することが出来なかったら、行動することもできない。
それでは、物事を成し遂げる事なんて何一つ出来ない、自分は全くの無力なのではないか?
そんな風に不安になって、自らを責め立ててしまうのも無理はないでしょう。
ただでさえ日本には
「夢がないとダメ!」
みたいな風潮が根強く
ありますからねぇ。
でも、たとえ今は行動できていないとしても決して無力ではありません。
将来について具体的な目標が無くても、好きなこと・やりたいことが何も思い浮かばなくても、皆さんの手には無限の可能性が秘められています。
一級建築士になって大きな橋を架けたり
医師になって病気に苦しむ人を助けたり
野球選手になってホームランを打ったり
作家になって読者の魂を揺さぶる小説を書いたり
そんなあらゆる事を成し得る力が、その手には眠っているのです。
今では想像もできない偉大な事を成し遂げ、自分や他人の運命を大きく変えるかもしれません。
僕の塾講師という仕事も
生徒の運命を変えている
かもしれませんね。
やりたいこと・好きなことなんて無い、将来の夢や目標も無い、それでも全然大丈夫です。
そんなものは、これから色んなことを見て・知って・経験していく中で、自然と見つかります。
ただ一つ、心に留めておいて欲しいのは
「自分は何にでもなれる」
とうこと。
いつか自分の夢が見つかった時、ひたむきに努力を続けていれば、きっと叶えられるでしょう。
時には自分の無力さに、能力の低さに絶望することもあるかもしれません。
それでも、どうか自分自身を責めないで欲しい。
一度きりの人生を諦めないで欲しい。
その手には、運命を変える力が宿っているのだから。
何か名言に乗せられて
大分恥ずかしいことを
書いたような…。
この記事を書いたのが3月中旬~下旬ということもあって、無意識に卒業生達への送辞的な気持ちで執筆しちゃいましたね。
ただ、何かを始める・何かを成し遂げるのに遅いことはあっても、遅すぎるということはありません。
卒業生に限らず、読者の皆さん全てが、自分の将来に希望を持って前向きに生きられることを願っています。
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