「気付いたんだ、なぜ迷うか。地図が無いからじゃない。 俺に無いのは、目的地なんだ」
by 竹本祐太
(「ハチミツとクローバー」より)
さぁ順調に回を重ねております「名言の泉」カテゴリー!
それもそのはずで、朝起きて
「さて、今日は何の記事を書こうか…?」
と少しでも迷ったら、すかさず
じゃあ名言にしよう。
となるから。
(まるで酒好きよろしく「とりあえず生」の感覚ですね)
※この感覚、もう古いらしいですよ。
というか死語に近いとか……。
では仕切り直して、今回ご紹介するのは「ハチミツとクローバー」の主人公である竹本祐太の台詞。
(「アニメは知らないけどドラマや実写映画は知ってる」って人が多そうですね。実写では主人公役を嵐の櫻井翔さんが演じていましたから、一般的な認知度は若干高いかもしれません)
まぁ僕は基本的に
アニメの実写否定派
なので見てませんけど。
ところで、人生というと「人がこの世で生きていくこと」を言いますが、よく「人生を歩む」とか「人生に迷う」とかいう風に「人生=生きる道・旅路」の意味でも用いられます。
学校の先生や塾講師をされている方の中にも、特に中学・高校3年生などに対して「受験はゴールじゃなくて通過点」と語ってる人っていませんか?
(以前に僕が勤めていた塾にはいました。受験担当の先生が熱く語る姿は意外と心に残るものですね)
そのように考えると人生という道って、ある程度は舗装されていると思いませんか?
僕は少なくとも日本においては石コロ一つ見当たらないレベルでコンクリート舗装されているように感じます。
というのも、日本では教育制度が整っていて、大多数の子どもに均等で平等な教育を受けさせることができるからです。
幼少期は保育園・幼稚園へ入園し、続いて義務教育として小学校・中学校。
その後、とりあえず高校・大学(人によっては大学院)へと進学を続けて就職、(まぁ人によっては結婚もあって)無事に定年退職を迎えて老後は悠々と年金暮らし……と。
何だこの安定感は…!?
(まるで不動のエースピッチャーですね)
もちろん、誰もが大学進学や就職を望むわけではありませんし、たとえ望んでも叶わないという場合も多々あります。
年金で老後の暮らしが安泰という保証も全くありません。
(少子高齢化の影響もあって年金制度が改悪、老後2,000万円問題というのもありますからねぇ…)
ただ、日本は義務教育からの高校・大学進学・大企業就職という固定観念が強く、社会が設けたガッチガチに固いレールがある国であることは確かでしょう。
そのおかげで、特に進路のことや将来のことを考えずに何となく生きていったとしても、ある程度の学と教養を持った状態で社会へ出ることが出来ます。
しかし、そんな日本にだって(いや、そんな日本だからこそかもしれませんが)人生という道の途中で進みたい・進むべき方向を見失っている人達が大勢いるのもまた事実。
(理由にもよりますが、引きこもりや不登校、ニートなどに多いでしょう)
※学校へ行かない・働かない生き方が正しくないとか悪いとか語るつもりはありません。
どんな生き方にせよ、その過程も含めて全て自分の人生であり、自分で誇りや責任を持つべきだと思っています。
自分自身ではなく周囲の環境に原因がある場合は除きますけどね。
そういった生きる道を見失う人がいるのは、このように舗装されている道が
「あくまでも自分の人生を歩みやすいように、歩く方向や道筋の参考になるもの」
であって、自分に合った道・自分が望む道を自動で選んで自動で進んでくれるものではないからです。
綺麗に舗装された道、石コロだらけの道、誰も通ったことのないような道。
どの道を選ぶのか、どんなペースで歩むのかは、全てあなた次第。
大切なのは、自分がどこへ行きたいのかという目指すべき目的地を見据えることです。
人間は、人生を歩む上での目的・目的地を見出すことで安心し、悩まずに進むことが出来ます。
その”目的・目的地”の分かりやすい例として「夢」が挙げられるでしょう。
夢というのは、別に「無いとダメ」というような強制するものではないですが「あって困ることはない、むしろ得することが多い」ものですよね。
「夢があるから頑張る」
というのは納得ですが
「夢が無いけど頑張る」
というのは中々に至難の業です。
まぁそういう子でも頑張らせるのが塾なのかもしれませんけど。
だから学校や塾の先生、保護者の方々の多くは、子ども達に志望校とか将来の夢とかいう目的・目的地を持って欲しいと願うのではないでしょうか。
あなたが今まで進んできた道・これから進む道には「舗装された道」「多くの人が進んだ道」という地図があります。
ですが、その地図を見た上でどう進むかは自由、その目的地も自由です。
他の誰も、あなたが本当に望む道や目的を知りません。
たった一度きりの旅路、あなたはどう歩みたいですか?
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